「UCIアジアツアー ツールド熊野 {第一ステージ、生き地獄}」

さて第一ステージ梅丹GDRの隣近所でマッサージを受けながら(なんかプロっぽいとか思いつつ)これから始まる生き地獄に心ときめかせ、パレードスタートを待ちました。パレードもなんか緊張感ありましたね(トイレ休憩以外は)。昨年はコースのゴールライン側を一度通ってから止まってスタートだったんですが今回はローリングスタートでしたね。
レーススタートが切られるとスピードは一気に60キロ近くまで。一週目平地区間は常に55キロ前後(以上?)。昨年のBR1のときより5キロ近く速い。このときはすぐに千切れるんじゃないかとひやひやしながらとにかく早く逃げが決まってくれと思っていたところ、16名の逃げができてるじゃありませんか。そしてそれを追う集団の先頭は緑。スピードは速いが安定し余裕は出てきた。「このままコントロールするか力尽きるかしてくれ緑のちーむ〜」とかいいながら2周目の復路で吸収。
しかし一周目のえげつないアタック合戦に少し疲れたのか若干ましになった集団でうまく流れに乗って集団中ほどへ。時と場合によるんですがちょうどアタック合戦に参加しない有力選手が休むためのペースの緩急が少ないところが中ほどにできたりするんです。その中で2週半くらいしたかな。このころになるともう脚がぴくぴくしだしてましたね。
残り一周半なら千切れても完走できる。そのために5周目の折り返しをクリアするため非常に迷惑な手段を使うことに。中切れすることを前提でできるだけ前に上がり苦しい区間を集団の最後尾で通過。(巻き添えにしたチームメイトや他の選手へ本当にすいませんでした。)しかしこのとき完全に力尽きてしまっていました。
6周目に入る直前の左カーブ若干前を開けてしまい詰めるのにゴールスプリントばりのダッシュ。その直後本線に入る右カーブ直後付き切れ…。ここでレースは終わりました。集団はそれでも50キロ近いスピードで走っているのに対し、ちぎれた自分は30キロ出すのが精一杯。それでも何とか関門通過を目指して全力で踏むも最後の一周をに入ることなくおろされました。このとき自分が最終未完走者でした。「あそこでガマンしていれば」と思ったところでできたらその時やってるんですよね。
もう燃え尽き灰のようになった宿への車に電話が!「救済措置により翌日出走できます」一気にテンションが上がるのでした。

第一ステージ DNF 総合87位