ネクストイエロージャージ獲得の軌跡

2012.11.3
JBCF ジャパンエリートツアー 年間総合優勝 ネクストイエロージャージ獲得
クラブシルベスト 井上 人志


1月
例年であればまだウエイトトレーニングしか行わなかった時期だが、今年は年始休み明けから自転車に乗り始めた。理由は2月3月に学生時代の春休みのような極端な乗り込みができない。逆に1月は試験もないため時間があったから。ただなにより今年のツアーの開幕は3月の2週目であり、早い開幕戦を見越してのことだった。
2月
順調に体ができてきた2月の半ば、仕事の都合で2週間近く自転車から離れなければならない時期ができてしまった。このときはかなり焦ったし、今年の前半戦は終わったんじゃないかとさえ感じた。
結果的にはいい休息になったようだった。練習再開直後は動きは鈍っていたし苦しかったがこの焦りは3月にかけていい集中力与えてくれたし、疲れのぬけた体はよく練習に耐えてくれた。(昨年のこの時期は腰痛に苦しんでいた)
3月
例年通りはりちゅーのチャレンジリーグでシーズンの初戦を走ったものの、あまりの寒さ(レース途中から雨)とコンディション、戦略ミスから昨年優勝したレースは5位に終わった。身の危険を感じる寒さからエンデューロも走らず、正直翌週の下総クリテリウムに向けては練習不足だった。
下総クリテリウム
今シーズン最大の珍レースをやらかしてしまった。(見てるチームメイトが少なくてよかった)周回数を間違えたのだ。
練習不足の焦りはあったが予選を2位で通過し悪くない感触はあった。決勝でも相川選手(元アンカー)や小坂子(ブリッツェン)のアタックにも余裕があった。ただなぜか終盤ぼぉっとして集中がかけていた。最終周(残り2周と勘違い中)いのきんたまんさんが引き上げてくれたにもかかわらず、(かなりきつかったのもあったが)離れてしまい、位置を上げなおそうとしたときレースが終わって23位だった。
4月
ジロデ鞍馬とかいう雪が降り積もる山岳地帯を越える215kmの練習からはじまった。元来私は長距離は苦手だ。原因のひとつは日本の1時間前後のレース時間や強度をターゲットに練習していることによる。ただこの日はよく登れたし(ワールドクラスのクライマーには相手にされなかったが)練習の最後まで力尽きず走れた。これは自信になった。
白浜TT
今シーズン全体を見たとき、最も自分の勝率が高いレースであることは疑いようがなかった。自分の脚質はTTが走れるスプリンター。つまり1.5kmのTTはまさに自分のレース。
実況「最終走者井上選手がベストタイム更新!!」ガッツポーズもしたし、叫んだし、チームで喜び合った。
にもかかわらず張り出されたリザルトは2番目、表彰の呼び出しも5番目。つまり2位
おいっ実況
白浜クリテリウム
この時点で確信があった。一週前の200kmオーバーの練習、前日のスピード。昨年のスプリント偏重練習の結果、最後に脚が残らない状態とは違う、スタミナとスプリントが両方ある勝負できる。レースは途中アタックはあったもののゴールスプリントへ。最終コーナー前3人が絡みかけたのにビビリ5番手くらいで曲がりだすも、立ち上がりで二人抜いた。ただ先頭には並びかけることもできなかった。勝ったのはTTと2連勝の増田選手だった。
3位
そしてこのとき頭角を現したのは4位チームメイトの野島遊。最終コーナーではかなり後ろにいたらしいから、ストレートは最も速かったはずだった。
舞洲
自分では自分以上にこの地での勝利を渇望している選手はいないんじゃないかというほど、勝ちたいレースだ。この時点で16回目だが、内走らなかったのはたぶん1回だけ。そのうち半分以上は入賞していたと思う。結果から言うとやはり勝てなかった。レースは現マトリックスで日本トップのスピードを誇る窪木と、オランダの巨人マークが最初から最後までアタックを繰り返した。そしてアタックの数だけ、まつけんさんと遊がそれを潰した。最終バックストレート動き続けた窪木最後のアタックに対処するのは、脚をためきった自分には難しくなかった。最終コーナーに先頭で入るとき後ろで落車の音がした。その結果前週自分より前でゴールした選手はもういない。正直勝ったと思った。
ラスト50mで自分の左側に前輪が見えたとき、またダメなのかと感じ、見知った青いフレームが見えたとき、自分も手を上げなきゃなともおもった。自分はチームワンツーフォーの2位。勝ったのは野島遊。窪木やマークとやりあった末のスプリント勝利。このプロトンにおいて最強を証明する完璧な勝ち方だった。もちろん心から喜んだ。でもむちゃくちゃ悔しかった。同時に平坦のピュアスプリントでは遊に勝てないとも悟ったのだった。

この時点でランキングは2位。1位との差はたしか25点つまり次戦で15位以内でネクストイエローを獲得できる。
このモチベーションは自分を坂へと駆り立てた。たまたま出勤が昼からの日、天狗岩をタイムリミットまで6本上った。体力工場ではなく上り方を思い出すため。なにせここまでレースも練習も平坦ばかりだったから。

つづく

ネクストイエロージャージ獲得の軌跡2

群馬CSCロードDay1
自分の登坂力から言えば、群馬CSCまでが許容範囲で、格上のスプリンターは登れない。とわいえ敵はこれまでの比ではない選手たちが参戦してくる。将来トップ選手になるであろう10代の有望選手たちがほとんどそろい踏みだった。やはりエカーズや後に最大の敵となるユーラシア山崎君やスペース岡君、たまに下りでマークなんかがアタックを繰り返すなか、最も可能性のあるエスケープを作ったのはやべさんだった。そのおかけもあって、自分は足を残せた。このコースのセオリーは最終周の心臓破りまでの温存にある。最終周逃げていたマークを岡君が引いて潰し、そのまま心臓破りでアタックしていった。私を含むプロトンはスプリントばりに踏んで耐えしのぎ、結局スプリントになった。しめたと思ったがエカーズ市丸君は2枚くらい上手だった。とはいえこのレース7位に入りイエロー獲得!念願だったしなにより地元2連戦(大阪堺と東京大井は生まれたところのすぐ近く)でイエローを着て走れることうれしかった。
群馬CSCロードDay2
この日ジュニア選手たちはユースのレースに出なければならないため、E1にはいない。レースはまさにやべさま祭りだった。心臓破りでの5/6回のアタックは強烈だった。おかげでまたも1/6回目の心臓破りに備えられた。前日比でかなり余裕があり自分のスプリントができたが集団2着。相手はそうこの後実質勝つことができなかった山崎君だった。結果は1人に逃げ切られ3位だったが。

4月は計5レースではなく最終周もワールドサイクルクリテに出たから6レース(TT走ったから7レース?)さすがに疲れた。

ネクストイエロージャージ獲得の軌跡3

5月
クリテリウム
イエロージャージを来ての第2戦は地元大阪の堺クリテリウムだ。私はかねてから日本で最も走りたいコースはTOJ堺だった。もっとも市街地を回っていた旧コースのほうだが。それでも今シーズン前半はイエローを着て地元大阪で勝つことが目標だったから気合が入った。ただ調子のせいなのか空回りだったのかスピードが辛いと感じていた。もちろんミュールゼロのアタックは強烈だったし、それをことごとく潰したまつけんさんはスーパーだった。最後の窪木のスピードは想像以上だったがそこへの追走を試みた遊はさすがだった。自分は勇気がなかった。スプリントの位置どりは気持ちで負けては話にならない。最終コーナー増田選手の番手は悪くないと自分を納得させたが、7番手前後は後ろ過ぎた。目の前の落車を避けての10位が精一杯。今年一番の応援の中イエローを着て勝てなかった。というより勝とうとできなかった自分が悔しかった。

大井埠頭ロード
実は私、育ちは大阪ですが生まれは東京です。しかも大田区つまり大井埠頭は第2の地元レース。親戚や友人が何人か来てくれた中をイエローを来て走ることができた。まぁ地元チームのなるしまフレンドとは紛らわしかったようだが。自転車であるのかどうか分からないが私はかってに舞洲がホーム、関東はアウェーだと思っている。そしてホームチームが主導権と先頭責任をを担うものだと考えている。だからこの日最も気合をいれて主導権を握りに来たなるしまをマークした。インプレでお馴染み山本選手のスプリントがかなりあることも知っていいた。アタックはあるが4車線のほとんど直線のコースでは逃げは決まらない。まして集団が緩まないうようなるしまが常時コントロールしていた。ビックチームとして我々も見習わなくてはならない走りだ。最終周の半分あたりからレンショーいのまたとの連携は完璧に機能していた。だがラスト500mの看板過ぎでいのきんたまんさんが弾き飛ばされた。私はギリギリ交わすことができたがリザルトは完走点だった。ここまでのシーズン、最大のライバルになるかもしれないと考えていた、ルパン所司選手が三度目の落車で脱落した。同時にこのレースはユーラシア山崎君が勝った。

3days熊野
正直このときは焦り始めていた。大阪東京の二連戦で最低でも100点は稼がないといけなかった。それがどちらも落車がらみで下位にしずみ50点。自らがこけなかったのが今年の運だと言い聞かせるしかなかった。不運はつずくものだ。勝てない私の数少ない買ったコース熊野1st赤木川に出ることができなかった。サラリーマン3年目で翌週の初の偉い人プレゼンを前に休むことができなかった。とはいえ土日引きずられなかったのはやはり運が良かったのかもしれない。しかしこの1stでなんとチームメイト遊にジャージを奪われた。調子に乗られるのがわかっていたから、熊野に向かうのが少し憂鬱だったのはここだけの秘密だ。
熊野2st
このレースは次世代の日本を担うワールドクラスのジュニア選手VS社会人レーサーの構図となった。熊野2stはなんやかんやアタック等はあるものの勝負は千枚田前の位置取りから始まる。私はレースを始めてから8年欠かさず参加してきた。シルベストの合宿でもよく走るし、何より09年の総合優勝者だ。コースや展開位置取りなどは知り尽くしていると言っていい。だから序盤は充電し道が細くなる直前に前にあがり5番手くらいで登りに入る。だが我がチームの山岳エース達は位置取りに失敗していたようだった。と思ったらたしか5人のトリコロールトレインがプロトンの脇を矢のように先頭まで駆け上がっていった。いのきんたまんさんの技で先頭まで上がり、そしてここからがいつもシルベストと違った。かまやんさんとライターアサノさんがそのまま登り口までハイペースで引ききった。いつもはエースだけが前に上がり蓋をするしかできなかったが今回は違った。私はその一部始終を代、岡、小橋、山崎をはさんでわずか後ろから見ていた。前に加わって発射台になりたい気持ちもあったが、いざ千枚田のアタックが失敗したとき集団スプリントを担うのは自分だ。結果先頭はエカーズ代ともうひとり、スペース岡、ベルマーレ、小橋に対峙するば、まつけんやべっち。私はというとプロトンの先頭で登りきった。おかげでシルベストは追走には加わらず、スプリントで山崎君に破れはしたが集団の234着を独占した。エスケープグループではエカーズ代が勝った。ワールドジュニアたちに屈したとは言え我がチームの強さも証明する形になった。この結果を受けジャージはチームメイト間で移ることとなった。

ネクストイエロージャージ獲得の軌跡4

熊野3st
太地町のコースは自転車ロードレースの全ての要素が詰まっていると思っている。具体的には平坦、登り、下り、連続する直角カーブ、海からの横風、天候、まさに総合力が試される。そしてここでいい走りができればその後の多くのレースで活躍できる。レースはまさに総合力を有する選手たちの戦いになっていた。昨日の逃げ切ったメンバーに山崎君を加える形のアタック合戦だ。私は一昨年逃げ切りで後一歩で優勝というところまできたものだが、このハイレベルのレースではただただ温存することしかできなかった。もちろん決定的なエスケープが行けば追いかけるつもりだったが、ハイリスクの逃げにはチームメイトが先に入っていた。山崎くんのアタックの瞬間は見ていなかった。岡、小橋の反応が遅れたのはきっといい勢いのアタックだったのだろう。それに最終周はみなスプリントのことを考えていた。というよりプロトンに追走する力が残っていなかったのが正しいかもしれない。山崎くんは独走で総合力を証明したのだ。イエロージャージをめぐる争いの本命となった瞬間だった。
実はこの時NiPPOの監督としてきていた大門監督に懇願していた。「彼のポテンシャルはエリートツアーでは手に負えない。ベルギーに連れて行ってやってください。」と。言ってみるものですね。(関係ないか)

結局3週連続4レース栂池ヒルクライムは休むことにした。ただ熊野を終えてジャージは再度遊が着ていたし、山崎君が台頭してきて、御器谷さんがランクを上げてきた。かなり危機感を感じていた。例え完走点でも取りこぼせない、ヒルクライムもでなくてはならなくなっていた。

富士国際ヒルクライム
このコースを最後に走ったのは08年Jツアーでの唯一の完走だった。当時のタイム52分半くらいだったと思う。今回はその1分落ち。まぁそれまで少し休んだしこんなもんかとは思った。今だからかけるが、熊野にかけて驚異的な成長カーブを描いていたチームメイトの弱点に実は安堵していた。
実を言うとヒルクライムにおけるライバルに対しリベンジに失敗していた。ライバルとはひのさんである。昨年箱根でやぶれ再び敗れた。いくら脚質がちがうとはいえ、チンクワンタに負けるわけにいかない。

東日本実業団(群馬CSC
前回の群馬では1日目7位、2日目3位と相性がいい。ここで取り戻さなくてはしばらく高得点を得るチャンスがない。いつも以上に慎重になりながらレース半分まではうまく進んだ。登りは温存しながら下りは惰性で先頭へ、テクニカル区間は集団5番手以内をキープしていた。だがたまたま6周目は流れの中で10番手で前半の連続カーブ区間に入ってしまった。とはいえ10番手だ十分リスク回避した位置である。だが最後のカーブの出口寸前で前の選手が自分のライン上で落車した。バイクと体で道を塞ぐような形になったためかわすことができない。ならば最小限のダメージに抑えるため、バイクを立てて、できる限りの減速を試み、落車した選手の背中へ突っ込んだ。ジャックナイフで立て直せる可能性に賭けたがダメだった。まっすぐあたったため体はきれいに宙を舞い、おそらく水泳の飛び込みのような形で着地したが、まさに奇跡的な受け身で体のダメージは顎とひざの小さな擦り傷だけだった。バイクもほぼ無傷だった。(のちにサドルが割れていることが分かったが)そこからレースのほぼ半分全力の追走を試みたが届かず、レース最後尾での完走に終わった。実はイエローを着ていた遊もちぎれていた。そしてゴールは私の目の前。逆に勝ったのはユーラシア山崎。チームで守ってきたジャージは遂に失うこととなった。

惨敗

内灘ダメでした。いや表彰台に乗っておいてダメだというのは失礼かもしれない。ただ我々には優勝する義務があったし自分にはそのチームを引っ張る責任があった。
引っ張ったのは足だったけど。
例年の疲労はなかったのでコンディションは悪くないと思っていた。ただ練習のデータを見ればペース走のスピードは遅かった。(方向性が間違っていた)

一人気を吐いたきと〜はすごかった。しかしチームTT後の個人は難しかっただろうし、ロードレースでは私の戦略ミスと落車で勝機をなくしてしまった。


今シーズン参加できるレースが少なくなってしまった。その分かず少ないチャンスをものにできるよう集中しなければならいと感じた。

不幸中の幸いにして落車のダメージは小さい。次のスピードウェイで小嶋敬二をやぶったスプリントで勝負してきます。

ホイール由来の抵抗を減らす

いろいろあって前回の更新からかなり空いてしまいました。すいません。

エアロロードの話に戻ります。
ホイールの空気抵抗最大の要因はスポークです。だいたい前後で最少36から最多72本が空気を切り裂き、さらにホイール上半分は走行速度より速く真上では2倍近い。
そんなスポークの空気抵抗を減らすため、フォークとシートステーにスリットを作りいい流れの空気を当て、整えようとしたのがリドリーのノアです。


つづく

いろいろあって前回の更新からかなり空いてしまいました。すいません。

エアロロードの話に戻ります。
ホイールの空気抵抗最大の要因はスポークです。だいたい前後で最少36から最多72本が空気を切り裂き、さらにホイール上半分は走行速度より速く真上では2倍近い。
そんなスポークの空気抵抗を減らすため、フォークとシートステーにスリットを作りいい流れの空気を当て、整えようとしたのがリドリーのノアです。

3dayE1プレビュー

JBCF唯一のステージレース。そしてクラブシルベストにとってシーズン前半の最重要レースである。そんな3day熊野の見所を紹介していこう。

熊野コース編
熊野のコースは全てが生活道路であり、さらに長めの周回かラインレースであるため、本場ヨーロッパに見劣りしないコースが設定されている。世界遺産熊野古道周辺の山岳地帯や港町を駈ける様子は、同時に行われているジロデイタリアと遜色ないといえば言いすぎだろうか。
また熊野の三日間の中には自転車レースを全ての要素が含まれているといって言い。1stは平坦、2stは山岳、3stは海風にアップダウン。そしてめまぐるしく変わる天候。そんな真の実力者を選び出す熊野の各ステージを見ていこう。

1at赤木川清流ステージ
我々シルベストにとって非常に相性のいいステージである。なんとコースが採用されてからJBCF主催レースではすべて優勝を飾っている。
川沿いを往復するコースは基本的にスプリンター向きである。しかし狭く急な起伏を含みゴール前の二度の直角コーナーなど、スピードと共にテクニックを試されるコースとなっている。ポイントは集落を抜ける折り返し区間で、自転車3〜4台しか通れない道でアップダウンを繰り返す。昨年から採用されたスタートゴール地点手前の「激坂」も気をつけなければならない。ただこちらは最終周回はスルーする。ゴールスプリントになった場合、ゴール直前二度の直角コーナーでは、スピード、技術、タイミング、何一つ間違ってはならない。
折り返し地点のレイアウトはアタックするには最適である。しかし川沿いの平坦区間が長いため逃げ切りは難しい。

2and熊野山岳ステージ
本州で唯一といって言い実質のラインレースである。山岳ステージの名にふさわしく中間地点にはKOM千枚田の登りが鎮座し、その前後にもこまかなアップダウン絶え間なく続く。昨年からゴール地点が札立峠中腹から、熊野クラブへの300m一直線の登りに変更され、クライマーだけでなく多くの選手に可能性が開けたといえるだろう。
レースおいて鍵を握るのはやはり千枚田の登りである。山の斜面一面に広がる棚田は絶景であるが選手に眺める余裕はない。生粋のクライマーはここでKOMとともに大きな差をつけて、独走または少人数での逃げ切りを狙いたい。また千枚田の下りは非常にテクニカルで滑りやすい。周回ではないため、コースを知っているか否かが致命的となることも想像できる。千枚田で粉々にされた集団は、風伝トンネルからの下り基調で徐々に形を取り戻す。登りをこなせるスプリンターは何とか食らい付き、追走を組織できれば勝機が見えてくる。ゴール直前のレイアウトが変わったため、最後は登りでのスプリント力も必要となる。

3ed 大地半島
鯨で有名な大地町の港と街中を駆け巡る、ロードレーサーの総合力が試されるコースである。スタートしてしばらくでKOMにいたる登りが始まる。岸壁に沿う1キロ弱5〜7%程度の登りの先がKOMなのだが、そこから下るわけではなくさらに3%の登り基調がしばらく続く。よって登坂力は必須となる。高台の街中を抜けるとダウンヒルテクニックの試される急勾配の下りが現れ、出口の小学校前では必ずオーバーランする選手がいる。そこから港町でブラインド直角コーナーの連続はクリテリウムのよう。この区間は路面も悪く、ストップ&ゴーの連続となり技術はもとよりインターバルの力が要求される。一昨年から新設されたトンネルを抜けるとスタートゴール地点まで平坦路となる。しかしここは海岸線を走ることになるため、海風と戦わなくてはならない。
すなわちこの大地半島ステージで勝つことはロードレースの全ての要素において秀でていることを証明できるのである。

JBCFとしては1dayレースが三つ連なった形式をとっている。そのため総合成績にはポイントは付かない。しかし国内で数少ないステージレースであり、これだけ厳しいコースを戦い抜いた末の総合優勝は誰もがほしいタイトルである。