ネクストイエロージャージ獲得の軌跡3

5月
クリテリウム
イエロージャージを来ての第2戦は地元大阪の堺クリテリウムだ。私はかねてから日本で最も走りたいコースはTOJ堺だった。もっとも市街地を回っていた旧コースのほうだが。それでも今シーズン前半はイエローを着て地元大阪で勝つことが目標だったから気合が入った。ただ調子のせいなのか空回りだったのかスピードが辛いと感じていた。もちろんミュールゼロのアタックは強烈だったし、それをことごとく潰したまつけんさんはスーパーだった。最後の窪木のスピードは想像以上だったがそこへの追走を試みた遊はさすがだった。自分は勇気がなかった。スプリントの位置どりは気持ちで負けては話にならない。最終コーナー増田選手の番手は悪くないと自分を納得させたが、7番手前後は後ろ過ぎた。目の前の落車を避けての10位が精一杯。今年一番の応援の中イエローを着て勝てなかった。というより勝とうとできなかった自分が悔しかった。

大井埠頭ロード
実は私、育ちは大阪ですが生まれは東京です。しかも大田区つまり大井埠頭は第2の地元レース。親戚や友人が何人か来てくれた中をイエローを来て走ることができた。まぁ地元チームのなるしまフレンドとは紛らわしかったようだが。自転車であるのかどうか分からないが私はかってに舞洲がホーム、関東はアウェーだと思っている。そしてホームチームが主導権と先頭責任をを担うものだと考えている。だからこの日最も気合をいれて主導権を握りに来たなるしまをマークした。インプレでお馴染み山本選手のスプリントがかなりあることも知っていいた。アタックはあるが4車線のほとんど直線のコースでは逃げは決まらない。まして集団が緩まないうようなるしまが常時コントロールしていた。ビックチームとして我々も見習わなくてはならない走りだ。最終周の半分あたりからレンショーいのまたとの連携は完璧に機能していた。だがラスト500mの看板過ぎでいのきんたまんさんが弾き飛ばされた。私はギリギリ交わすことができたがリザルトは完走点だった。ここまでのシーズン、最大のライバルになるかもしれないと考えていた、ルパン所司選手が三度目の落車で脱落した。同時にこのレースはユーラシア山崎君が勝った。

3days熊野
正直このときは焦り始めていた。大阪東京の二連戦で最低でも100点は稼がないといけなかった。それがどちらも落車がらみで下位にしずみ50点。自らがこけなかったのが今年の運だと言い聞かせるしかなかった。不運はつずくものだ。勝てない私の数少ない買ったコース熊野1st赤木川に出ることができなかった。サラリーマン3年目で翌週の初の偉い人プレゼンを前に休むことができなかった。とはいえ土日引きずられなかったのはやはり運が良かったのかもしれない。しかしこの1stでなんとチームメイト遊にジャージを奪われた。調子に乗られるのがわかっていたから、熊野に向かうのが少し憂鬱だったのはここだけの秘密だ。
熊野2st
このレースは次世代の日本を担うワールドクラスのジュニア選手VS社会人レーサーの構図となった。熊野2stはなんやかんやアタック等はあるものの勝負は千枚田前の位置取りから始まる。私はレースを始めてから8年欠かさず参加してきた。シルベストの合宿でもよく走るし、何より09年の総合優勝者だ。コースや展開位置取りなどは知り尽くしていると言っていい。だから序盤は充電し道が細くなる直前に前にあがり5番手くらいで登りに入る。だが我がチームの山岳エース達は位置取りに失敗していたようだった。と思ったらたしか5人のトリコロールトレインがプロトンの脇を矢のように先頭まで駆け上がっていった。いのきんたまんさんの技で先頭まで上がり、そしてここからがいつもシルベストと違った。かまやんさんとライターアサノさんがそのまま登り口までハイペースで引ききった。いつもはエースだけが前に上がり蓋をするしかできなかったが今回は違った。私はその一部始終を代、岡、小橋、山崎をはさんでわずか後ろから見ていた。前に加わって発射台になりたい気持ちもあったが、いざ千枚田のアタックが失敗したとき集団スプリントを担うのは自分だ。結果先頭はエカーズ代ともうひとり、スペース岡、ベルマーレ、小橋に対峙するば、まつけんやべっち。私はというとプロトンの先頭で登りきった。おかげでシルベストは追走には加わらず、スプリントで山崎君に破れはしたが集団の234着を独占した。エスケープグループではエカーズ代が勝った。ワールドジュニアたちに屈したとは言え我がチームの強さも証明する形になった。この結果を受けジャージはチームメイト間で移ることとなった。