ネクストイエロージャージ獲得の軌跡4

熊野3st
太地町のコースは自転車ロードレースの全ての要素が詰まっていると思っている。具体的には平坦、登り、下り、連続する直角カーブ、海からの横風、天候、まさに総合力が試される。そしてここでいい走りができればその後の多くのレースで活躍できる。レースはまさに総合力を有する選手たちの戦いになっていた。昨日の逃げ切ったメンバーに山崎君を加える形のアタック合戦だ。私は一昨年逃げ切りで後一歩で優勝というところまできたものだが、このハイレベルのレースではただただ温存することしかできなかった。もちろん決定的なエスケープが行けば追いかけるつもりだったが、ハイリスクの逃げにはチームメイトが先に入っていた。山崎くんのアタックの瞬間は見ていなかった。岡、小橋の反応が遅れたのはきっといい勢いのアタックだったのだろう。それに最終周はみなスプリントのことを考えていた。というよりプロトンに追走する力が残っていなかったのが正しいかもしれない。山崎くんは独走で総合力を証明したのだ。イエロージャージをめぐる争いの本命となった瞬間だった。
実はこの時NiPPOの監督としてきていた大門監督に懇願していた。「彼のポテンシャルはエリートツアーでは手に負えない。ベルギーに連れて行ってやってください。」と。言ってみるものですね。(関係ないか)

結局3週連続4レース栂池ヒルクライムは休むことにした。ただ熊野を終えてジャージは再度遊が着ていたし、山崎君が台頭してきて、御器谷さんがランクを上げてきた。かなり危機感を感じていた。例え完走点でも取りこぼせない、ヒルクライムもでなくてはならなくなっていた。

富士国際ヒルクライム
このコースを最後に走ったのは08年Jツアーでの唯一の完走だった。当時のタイム52分半くらいだったと思う。今回はその1分落ち。まぁそれまで少し休んだしこんなもんかとは思った。今だからかけるが、熊野にかけて驚異的な成長カーブを描いていたチームメイトの弱点に実は安堵していた。
実を言うとヒルクライムにおけるライバルに対しリベンジに失敗していた。ライバルとはひのさんである。昨年箱根でやぶれ再び敗れた。いくら脚質がちがうとはいえ、チンクワンタに負けるわけにいかない。

東日本実業団(群馬CSC
前回の群馬では1日目7位、2日目3位と相性がいい。ここで取り戻さなくてはしばらく高得点を得るチャンスがない。いつも以上に慎重になりながらレース半分まではうまく進んだ。登りは温存しながら下りは惰性で先頭へ、テクニカル区間は集団5番手以内をキープしていた。だがたまたま6周目は流れの中で10番手で前半の連続カーブ区間に入ってしまった。とはいえ10番手だ十分リスク回避した位置である。だが最後のカーブの出口寸前で前の選手が自分のライン上で落車した。バイクと体で道を塞ぐような形になったためかわすことができない。ならば最小限のダメージに抑えるため、バイクを立てて、できる限りの減速を試み、落車した選手の背中へ突っ込んだ。ジャックナイフで立て直せる可能性に賭けたがダメだった。まっすぐあたったため体はきれいに宙を舞い、おそらく水泳の飛び込みのような形で着地したが、まさに奇跡的な受け身で体のダメージは顎とひざの小さな擦り傷だけだった。バイクもほぼ無傷だった。(のちにサドルが割れていることが分かったが)そこからレースのほぼ半分全力の追走を試みたが届かず、レース最後尾での完走に終わった。実はイエローを着ていた遊もちぎれていた。そしてゴールは私の目の前。逆に勝ったのはユーラシア山崎。チームで守ってきたジャージは遂に失うこととなった。